共有するということ

ゴールデンウィークに芝居をやります。シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を東北の農村に置き換えた「勝田村の陽気な女房たち」です。


初日まで20日を切り、稽古は正念場。毎日たくさん駄目だしをもらってまして…。芝居は難しいです。


ある日の稽古でのことです。「それもさびしいもんだよね」という台詞を、演出家に「他人ごとにしないで」と言われて、ぐぐっと気持を入れて言ってみました。すると「あなたがさびしいんじゃないでしょ。『さびしいね。わかるわよ』ってことでしょ」。確かにそうなんです。そのとおりなんですが…。私って頭悪いんですね。


芝居にはいろいろな極面があります。例えば対立と共有。私はさびしさを共有すればいい、ただそれだけでいいのですが、共有にもいろいろあってなかなか伝えられません。舞台上で喜怒哀楽を共有できたときの喜びはひとしおなのですが。


話は変わりますが、演劇集団「小さな翼」には今回で3回目の出演です。「小さな翼」のお客様はいわゆる演劇通ではありません。芝居に携わってる方もいますが、大半がそれ以外の方です。一年に一本しか芝居を観ない、その一本が「小さな翼」といった具合です。


そんな観客に、私は不思議な純粋さと温かさを感じます。楽しんでいただけたときは本当に嬉しいです。そのためには、生きた人間の真実の姿を誠実に伝えなければ、と思います。


板の上だけでなくお客様とも、対立し、共有出来たら、というかお客様にも「さびしさ」を共有していただくにはどうしたらいいのかなって考えると、私って無器用だなって思います。


無器用で頭悪いです。それでも芝居への情熱を共演者と「共有」して、いい舞台を作ります。必ず。