歩く速さで進行中

アンダンテの稽古に行ってきました。

いつもにも増して真面目なメンバーたち。

自由に「試行錯誤」してました。

芝居の作り方はその集団や演出家、状況により様々です。その日のアンダンテの稽古は、みんなで意見を出し合い、熱く厳しくわきあいあいと進行中。

やっぱり稽古場っていいですね。

あるシーン。ここはどういう場面で何を伝えたいのか、伝わっているか、どうすれば伝わるのかと言った具合。
にいいものを作っていこうっていう一人一人の思いが土台だなって感じました。その思い通り、期待できそうです。

帰り道はわいわいがやがや、でもずっと芝居の話してました。

阪口さんと双の会の「祈り」について熱く話したり、またメンバーがブログを更新してないこと、出来ないことをとても気にかけてるとも聞きました。

充実した時間、でもでも時間がない。
ゆっくり急ごう。

愛と・・・・、哀しみと・・・・。

作品はシェイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」


人肉をたべるとか復讐するとか強姦するとかいったどろどろした残酷な復讐劇。


実は昨年から秋は喜劇と思ってましたので…。
ASCの秋の公演が「タイタス・アンドロニカス」に決まった時はショックでした。
作品として「タイタス」は異端に思えて、かなりとまどってしまって。



それにしてもシェイクスピアは何故、この「タイタス・アンドロニカス」を書いたのでしょう。



私の好きな「ハムレット」も復讐劇です。
主人公は愛ゆえに悩み葛藤し傷つき、大切な恋人を失いながらも、父を殺した伯父に復讐し、命を落とす。
世界中で愛されている美しい物語です。


シェイクスピアはこの「ハムレット」と同じように、「タイタスアンドロニカス」も命をかけて書きました。


何故? 


何度も何度も本を読んでるうちに、ローマという時代に戦争に巻き込まれながらも一生懸命生きた人たちを、そこに見ることができました。

登場人物一人一人の愛と哀しみが時を越えて存在しました。

そしてそこには寒さに震えながらペンをとる、孤独なシェイクスピアの姿がありました。



演劇の力ってすごいと思ってます。


菊地先生演出の「双の会」の「祈り」は力強く、生命力あふれる舞台で勇気をたきさんいただきました。


「子供のためのシェイクスピアカンパニー」の「夏の夜の夢」では本当に夢のように楽しいひとときを過ごすことが出来ました。



そして「タイタス・アンドロニコス」は今、私に新たな可能性を与えてくれています。



彩乃木代表はどんな演出で深い愛を伝えるのでしょうか。

ASCが一団となってどんな舞台を創りあげるのでしょうか。

大変だけどふんばります。

(その前に「アンダンテ」もふんばらなければ)



めぐりあえて良かったです。そう思えるまでに少し時間がかかりましたが。

作品はシェイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」

「私の愛は傷つかないわ」

私は今、満ち足りた気持ちでいっぱいです。

今日、「オセロー」4人チームの通し稽古をみせていただきました。

始まる前はドキドキしました。それはやがて深い感動に変わりました。
愛する人に誤解され、ひどいしうちを受けながらも、その愛から逃げずに、さらにオセローへの愛を深めていくデズデモーナの切なさ、悲しい姿に泪がぽろぽろこぼれました。
感じかたは人それぞれだと思いますが私はデズデモーナの愛と悲しみに心動かされました。


台詞のひとつひとつが、動きのひとつひとつが、そして体の爪の先まで、むだなものは何もなく、役に生きて見えました。さすが先生チームです。脱帽です。


見終って今、幸せです。至福の時をいただきました。芝居っていいですね。

ただ、私、役者としてでなくスタッフとしてでもなく、一人の人間として全てを忘れて観てしまったこと、反省しています。

こつこつと・・・

今日(17日)、オセローの新人チームの稽古に行ってきました。

ピリピリした雰囲気かと思いきや・・・、
そこにいたのは明るくはつらつとした新人たちでした。

実は私、ゴールデンウィークに芝居をやって、おかげ様て好評だったんですけど、その後腰痛やら何やらで…。ちょっと落ち込み気味でした。

でもオセローの稽古場で元気をもらって、私も負けずに頑張らないといけないんだと思いました。

今日の稽古場で、とても丁寧に「オセロー」に取り組んでいるという印象を受けました。演出の彩乃木代表を見つめる瞳は熱く、やっぱり芝居の稽古はいいですね。彩乃木代表は何をやってもさまになっててカッコいいです。イアーゴーの藤田さんもとても素敵な方です。時折少年のように煌く時があって、一瞬でファンになりました。私も上手くなりたいです。

とはいうものの、日常普通にやっていることが、何故か舞台の上ではできなくなったり、見えてるものが見えなくなったりなどなど、現実は厳しいです。瞬間的な柔軟性って難しいです。

劇場入りまであと10日。ここからが勝負。難産ですが、きっといいものが産まれる、そんな予感が…。

青い空の下で今日・・・・

今日いよいよ「勝田村の陽気な女房たち」が初日を迎えます。


昨日のゲネプロでは、私かなり力んでしまって・・・・・。
上手くなりたいです。上手くなりたいと思う事がいけないのかもしれませんがやっぱりうまくなりたいです。


オセローの新人チームもかなり苦戦してる様子です。ここまで来たらお互いやるしかないですね。(苦笑)


時間の許す限り稽古して数時間後の初日にのぞみます。具体的には台本を見直すことと、できる限り台詞のキレを良くする事。今の私の力ではそれがせいぜいです。


4日間、6回の公演でまた新しい自分との出会いがきっとあると信じて、舞台にたちます。

共有するということ

ゴールデンウィークに芝居をやります。シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を東北の農村に置き換えた「勝田村の陽気な女房たち」です。


初日まで20日を切り、稽古は正念場。毎日たくさん駄目だしをもらってまして…。芝居は難しいです。


ある日の稽古でのことです。「それもさびしいもんだよね」という台詞を、演出家に「他人ごとにしないで」と言われて、ぐぐっと気持を入れて言ってみました。すると「あなたがさびしいんじゃないでしょ。『さびしいね。わかるわよ』ってことでしょ」。確かにそうなんです。そのとおりなんですが…。私って頭悪いんですね。


芝居にはいろいろな極面があります。例えば対立と共有。私はさびしさを共有すればいい、ただそれだけでいいのですが、共有にもいろいろあってなかなか伝えられません。舞台上で喜怒哀楽を共有できたときの喜びはひとしおなのですが。


話は変わりますが、演劇集団「小さな翼」には今回で3回目の出演です。「小さな翼」のお客様はいわゆる演劇通ではありません。芝居に携わってる方もいますが、大半がそれ以外の方です。一年に一本しか芝居を観ない、その一本が「小さな翼」といった具合です。


そんな観客に、私は不思議な純粋さと温かさを感じます。楽しんでいただけたときは本当に嬉しいです。そのためには、生きた人間の真実の姿を誠実に伝えなければ、と思います。


板の上だけでなくお客様とも、対立し、共有出来たら、というかお客様にも「さびしさ」を共有していただくにはどうしたらいいのかなって考えると、私って無器用だなって思います。


無器用で頭悪いです。それでも芝居への情熱を共演者と「共有」して、いい舞台を作ります。必ず。

自由な私

今研究センターでは、当然のことながら「オセロー」に取り組んでいます。


午前は菊地先生のご指導のもと、読み会わせをしながら戯曲分析をしています。
「演出家がいないんだから、自由にやっていい」と菊地先生はおっしゃいますが、とても難しいです。

自由ということは自分で決めて変えていかなければなりません。読み会わせをするということは、関係性を作ると言うことです。それには相手がいるわけで、でも演出家がいないとみんな初めはばらばらで、私はうまく受けられず、台詞もかからず、もう本当に大変です。


センターとは別に「小さな翼」という劇団の稽古に参加しています。そこでたくさん駄目だしを頂いてます。
例えば怒っている長台詞でテンポが悪いと指摘され、「言いながらだんだん腹立たしさが増していけば自然にテンポも上がるはず。気持ちが出来ていれば言い方は自由だけどそんなふうにさぐるのもひとつの方法」と言われました。

また「今表現した気持ちと表情、そして台詞に連動させて自由に動いてみて」と言われました。


あ〜、演出家がいても自由なんだ。板の上での自由って凄いプレッシャーで、なかなかテンポはあがらないし、思ったようには動けません。

言われたことをひとつひとつ、クリアしていくしかないんですね。余裕ないし必死です。


それでもやっぱり、芝居は楽しいです。